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No.8
萩尾望都 は ぎおもと
*萩尾望都作品目録*http://www.cafebleu.net/hagio/
欲しくなったので買いに行く ・・・>Amazon.co.jpアソシエイト
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X+Y(エックスプラスワイ) 前・後編  情報・感想お寄せください
【出版社】小学館 【発表年】 【サイズ】【その他】PETITCOMICKS 萩尾望都作品集17(表題「AーA'」)
【感想】
*頭 頂部に赤いたてがみのような毛髪の生える一角獣種。宇宙航行用に開発された人種である彼らをテーマに描かれた「AーA'」、「4/4(カトルカース)」、 そしてこの「X+Y」は連作です。私は「X+Y」に最も心を打たれました。一角獣種のタクトは「X+Y」、つまり両性具有。心に傷を持つ青年モリからアプ ローチされますが、そもそも感情の起伏に乏しい人種。基本的な意志疎通さえうまく行かず、とくにモリはやるせなさでいっぱいになります。しかし、思いや り・誠実さ・率直さ...モリの「愛」によって少しずつ心を開くタクト。人と人との感情の交流をこれほど暖かくあざやかに描いた作品は他にありません。 (0204 モトミ)
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ゴールデンライラック (2005/5up)  情報・感想お寄せください
【出版社】 【発表年】 【サイズ】【その他】
【感想】
*人が生き続けるためには、らくだのこぶの水が必要です。でもそれは自分で探さなければならないもの。一緒に育った幼な じみの二人が、互いに想い合いながら別の道を選んだとき、その水はどこに見いだされたのでしょう。裏切りながらの結婚を赦す年上の男性の優しさは、泣けま した。(おっきい人)
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残 酷な神が支配する 情報・感想お寄せください
【出版社】小学館 【発表年】1992年連載開始 【サイズ】B6版【その他】プチフラワーコミックス
【感想】
*と くに最終巻がすきです。だいきらいっ、と思いながら読んでいたグレッグに対する感情がページを追うごとに変わっていったのを覚えています。萩尾先生のお描 きになる「救い」がとても好きです。(2002/5 志保)
*ジェ ルミのマザコンぶりがなんとなくひとごとではないように思えて辛かった。不登校とかひきこもりとかの話題が世間を騒がしているけど実際は親を心配させたく ないからジェルミみたいに平気なふりを装っているんだよね。でも、一番感情移入したキャラはナディアだわ。ナディアとマージョリー姉妹がうちの姉妹に思え て笑ってしまった。(0202 望月かおり)
*サ スペンスと銘打ちながら,とても深い心理もの。正常だった精神がみるみる崩壊していくのを無理なくリアルに描いていくのが五つ☆。巨匠は死なず,というこ とか。(0201 まゆみゅ)
*こちらにも感想あります!(0201)(0005)
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トーマの心臓全1巻*情報・感想お寄せください
【出版社】小学館 【発表年】1989年 【サイズ】四六版【その他】小学館叢書(東逸子の表紙は垂涎もの)/解説 斉藤由貴 //ネタばれあり!よりぬき名場面コーナーへGo!//
【感想】
(2006/2掲載;投稿は2005年4月)
*小 学校4年生頃に読みました。ガキんちょだったので、脳天をガーンと打たれたようなショックというか、しびれがありました。遊びに行った友人宅には彼女のお 姉さんが読んでいた漫画本が置いてあり、「トーマの心臓」はその中のひとつでした。深く考えもせず読ませて貰ったのですが、その世界観に引き込まれてしま い借りてまで読破。もう私は30代になりますが自分の中ではバイブル的作品です。読み返す度に考えさせられ、作品への愛着もあせることがありません。それ 以来萩尾望都さまの作品を読み漁っています。(るっち)
*題 名は知っていましたが、StudioLifeという男優劇団による舞台を先に見てから(原作にかなり忠実だけどとても素敵でしたよ)読みました。話は正 直、特にユーリの苦悩について(ユーリの罪ではないのに…とか)や宗教的なことなど理解しにくいところもありました。でも何とも美しい絵、繊細な独特の世 界に思い出すもの、憧れるものを感じました。(2004/1/1掲載 南天)
*す ごく読み応えのある作品だと思います。本当に深い・・・。軽い気持ちでさらーっと読むことはできなくて、いつのまにか、この美少年達が過ごしているキラキ ラした時と、ギナジウムという場所が醸し出す、独特の世界観に魅了されてしまいます。ただ、ユーリの苦悩が重くて重くて、読むのに少々疲れちゃったりもし ます。(2002/8 よっしー)
*2 年ほど前にこの作品と出会いました。なんていうか・・・・萩尾望都さんの作品はどれも素晴らしくて大好きなんですが、その中でもいちばん好きです。言葉で は言い尽くせない、とても深いものがあります。読んだ後じ?んとしてしまって、しばらくぼ?っとしてました。この作品に出会えて、本当に幸せです。オス カーとエーリクがけなげで、特に好きです!(0203 ひめの)
*私、 女子校だったから、感情転移しました・・しかも少年の話なのできれいでしょう・・自分はアンテだった<笑い>のです。美少年、賢くてすてき!ジャニーズあ たりでヤレバいいのにね、トーマの心臓。(0112-2 mama)
これがもっとも胸にこたえる年代というのはやはりあって、今、その頃と同じ鮮烈な感動はないけれど、思い出をなぞるようにしみじみと読むだけの魅力は尽き ることがない。とりわけユーリが、望んでいた「許し」を得た(得ていたことに気づいた)場面、そこでのオスカーとのやり取りはじんわりとこころにしみる。 (雁)
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百億の昼と千億の夜全2巻 情報・感想お寄せください
【出版社】小学館 【発表年】1・2巻1985年 【サイズ】B6版【その他】原作 光瀬龍 /プチコミックス萩尾望都作品集1・2。
【感想】
  これは思わず原作まで読んでしまったほど気に入った作品でした。(そして萩尾さん版の方が好きでした) この作品においては、何より萩尾さんの絵の美しさ にまず魅了されました。その代表例が阿修羅王。彼(あるいは彼女)の手の動きや、衣装の布の揺らぎ、首と腕の瓔珞の鳴る音まで聞こえてきそうな、動的で、 かつ仏画のように洗練されたタッチの一つ一つに目を奪われました。 一番印象的なのは、作品中何度か呟かれるこの科白…「神よ、次は何をお望みですか」 「神よ、神よ、何がいけなかったのですか」…殺伐とした現代に生きる人々の叫びのような、象徴的な科白です。(2002/9 緋桐)
*百 億の昼と千億の夜・・・この作品は萩尾望都さんの作品としては、とても珍しく少年チャンピオンに連載されたものですね。当然少年チャンピオンコミックスで 持っているのですが、最近(20年以上たって)読み直してみましたが、やはりすばらしい作品だと思いました。ちなみに昭和52-53年発行でした。 (0201 ken2)
*宇 宙と生命の生成、そして人間存在の意味を取り上げた・・・何というか、やはり「壮大なスケー ルのSF」とでもいうのだろうか。何年経っても、何度読んでも圧倒される。冒頭アトランティスの司政官オリオナエが叫ぶ「神が実在であると説くよりなぜ (後略)」はいつまでも心に残る。(雁)
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半神 全1巻 情報・感想お寄せください
【出版社】小学館 【発表年】1985/3/20 【サイズ】B6版【その他】第二期作品集第9巻 /表題作プチフラワー1984年1月号 「ラーギニー」SFマガジン1980年2月号 「スロー・ダウン」プチフラワー1985年1月号 「酔夢」イラスト集「金銀砂岸」1980年 「花埋み」「紅茶の話」「追憶」以上イラストエッセイ 「ハーバル・ビューティ」ぶーけ1984年10月号 「あそび玉」別冊少女コミック1972年1月号 「マリーン」別冊セブンティーン1977年5月号(原作 今里孝子)
【カバーは語る】一卵性双生児のユージーとユーシー。だが二人はあらゆる点で異なっていた。姉は頭が良いが醜く、妹は美しいが頭が弱い。ある日!? 異色 短編として話題を呼んだ表題作ほか、まんが作品7編と、イラストエッセイ数編を収録した、作品集第9巻。(プチコミックス萩尾望都作品集9「半神」カバー 袖より)
【感想】
3 半神が16ページの漫画だったと気ずいたときの驚きは今でも覚えている。「うそ?!これ、16ページ?ほんと?」とても濃い内容なのになんでこんなページ 数で描ける訳?友達と話した記憶がある。そんな漫画でした。表題作「半神」衝撃的でした。(01/06 弘海)
2 シャム双生児でなにもかも対照的なユージーとユーシー。こんな特異な物語が何故、こうも深い感動を与えてくれるのかというと、普遍的なテーマや感情を扱っ てるからに他なりません。「美しさと醜さ」「愛と憎しみ」「自己と他者」「死と(再) 生」といった一見対立するものがいきかい、それらは絶対的なものではなく不確定でうつろいやすいものとして描かれます。そして人間がその中で翻弄されなが ら生きていく存在であることを、私たちが知っているからではないでしょうか?(EDG99/2/21)◆<Moriさん による一考察>(99/3/28)
1 ほんの15ページで、宇宙の闇のように深遠な世界。(雁)
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ポーの一族 全3巻 情報・感想お寄せください
【出版社】小学館 【発表年】1-3巻1988年 【サイズ】四六版
【その他】小学館叢書
各巻詳細(カッコ内初出):
1巻 すきとおった銀の髪(1972.1)ポーの村(1972.2)グレンスミスの日記(1972.6) ポーの一族(1972.10)
メリーベルと銀のばら(1973.12)(解説 氷室冴子)
2巻 小鳥の巣(1973.5)ペニー・レイン(1975.3)ピカデリー7時(1975.6) はるかな国の花や小鳥(1975.3)一週間(1975.10)
(巻末 「モードリン」「白き森白き少年の笛」「ヴィオリータ」収録)
3巻 エヴァンズの遺書(1974.11)ランプトンは語る(1975.5)リデル・森の中(1974.4) ホームズの帽子(1975.9)
エディス(1976.4) (巻末「白い鳥になった少女」「妖精の子もり」「雪の子」「月蝕」収録)
【感想】
(2011.12掲載)
最初に読んだのは高校生のときで、以来夢中。舞台がヨーロッパ、時代も1750年代〜ということで、おモーさまの絵柄もSF作品に比べると繊細でクラシック。どこかで読みましたが、この連載のために、わざとそういう絵柄にしようと意識したらしい。メリーベルが登場する話が特にいいと思います。現代ものでは『メッシュ』もかなり好きで、よく考えたら『メッシュ』の主題も「(少年から)大人になる瞬間」だと思う。ラストがたいへん素晴らしく、開かれた輝く世界が見えます。『トーマの心臓』『訪問者』『マージナル』あたりが読み返す回数多し。『エッグ・スタンド』『ばらの花びん』などの短篇も印象的。(サツキ)
(2004/5掲載)
初めて読んだのは中学校3年生の夏、14歳でした。新任の国語の先生に薦められたのです。あの時エドガーもアランも私にとっては同世代でした。永遠の少年 の物語をただただ夢中で読んで、萩尾作品の大ファンとなりました。それから20年余り。仕事で疲れてふとした時に本当に久しぶりに読み返したのです。そこ には14歳の変わらぬエドガーとアランがいました。物語に登場するエドガー達に出会った人々と同じように、私だけが年を取っていました。オービンの気持ち がわかる気がしました。だからこそ一層この作品の深さを知り、好きになります。(Heidi)
  この作品は噛めば噛むほど味が出る、まさしくするめ的作品。最初に読んだ時はその流れるような流麗な絵とセリフの綴れ織に目の眩むような思いをし、でもい つの間にやらどっぷりとその魅力にとりつかれてしまっていた。
 しかしその真の魅力に気付き出したのはやはり二度目から。萩尾さんの作品は何度呼んでもその度に新たな発見があるものばかりだが、この作品ほど奥行きの 深いものもそう数はない。ストーリー運びの見事さやテーマの深さもさることながら、一番驚嘆せずにはおれないのは、その圧倒的な構成。これは最初読んだ時 は気付かないが、たとえば「ポーの一族」の中のメリーベルが撃たれるシーンの走馬灯のように駆け巡る映像の中で、老ハンナの姿、幼いエドガー・メリーベル 兄妹、そして沈丁花の茂みから顔を出すユーシスの姿が描かれている。また同作品中でエドガーがうたた寝している時に、「メリーベルをお空にほうりあげる よ」という台詞が繰り返されるシーンもあるが、これらは皆これより一年ほども後に描かれる「メリーベルと銀のばら」という作品中に登場する場面なのであ る。ということは、作者はこの時点では未だ描かれぬすべてのストーリーを既に考えて筆を取っているということがわかる。また同作品のラストに少し現れるエ ドガーとアランが立っている門の学校は、やはりこの後に描かれる「小鳥の巣」の舞台となる学校である。(この学校はまた、「ポーの一族」より少し前に描か れた「グレンスミスの日記」にも登場する)
 これらすべてに気付いた時、(他にもこういった伏線は山ほどあるのだが)私はこの作者の力量に心底感嘆してしまった。今の数多いる漫画家の中で、これほ どの構成力と世界観を持ち、なおかつそれを表現し得るだけの筆を持った作家がいるだろうか。天才という言葉は好きではないが、萩尾望都という作家はまさに それしか呼びようがない作家である。「ポーの一族」は、それに改めて気付かされた作品だった。(2003/1 緋桐)
*私 にとって、「ポーの一族」との出会いが萩尾望都さんとの出会いでもありました。読み返すたびに新たな感動があり、繊細な絵、流れるようなストーリーの中に 貫かれているエドガーのパンパネラとしての哀しみがこちらにまで伝わり、泣きそうになったことも何度もあります。エドガーの苦しみは、現代の限りある生を 生きている私たちの苦しみと共通するところがあるのではないでしょうか。前は人間的で可愛いアランが好きでしたが、最近は、エドガーの気持ちのほうがよく 理解できるような気がします。(0204 ひめの)
*私 が読んだ頃は、小学館の全5巻<s50年>。構成と、物語の時代が、ばらばらで、夢中1-5で読んだあとに、年代順に読みなおしたりして2倍楽しかった。 永遠の少女と少年・・。普通のまんがじゃないな・・衝撃でした。エドガ-とアラン、かっこいいー!!あんなの二人転校生で来たら、あんたどーする!?たま りません。何度読んでも、新たに深読みが効く、はまる作品。ちなみに最近よんで・・「無・・。」(0112-2  mama)
幼い頃既に古典であり物心ついた時には 記憶の中にあった。私自身が過ごしてきた時の流れともあいまって、この作品の魅力(魔力?)は色褪せるどころか、いや増すばかり。そこにあるのは時の流れ を封じ込めた永遠の世界。年老いた頃どんな思いで読むだろう。(雁)
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訪問者 全1巻 情報・感想お寄せください
【出版社】小学館 【発表年】1981年 【サイズ】A5版【その他】1980年2月作品 /巻末に萩尾望都による「訪問者前後」収録!/解説 ささやななえ
【感想】
(2004/7up)
*プ チフラワーの創刊号で読みました。涙が止まりませんでした。単行本で見つけた時早速買って、アメリカまで持って行きました。同じ団地に住んでいた知人に貸 したところ、ご主人が読んで涙をぼろぼろこぼして泣いていたということで、返ってきた本には涙のあとが残っていました。はっきり言ってこれは単なる少女漫 画ではないと思います。上智大学の先生が、キリスト教と関連付けて論じておられましたが、幼子のいる家には、裁きの神も遠慮してくれるというのはキリスト 教ではありませんよね。ご本人も対談ででっち上げだと仰っておられましたが、本当に日本人の八百万の神信仰に近いと思います。読むたびに涙が止まらなくな ります。(ポーチの子猫)
愛すべきオスカーの大人びてる訳がわかった衝撃的な作品でした。当時、私も‘家の中の子供’になりたかった。今でも、涙せずには いられない・・・(0106-2 まちゃみ)
シュロッターベッツ以前のオスカー。「トーマの心臓」の世界にぐっと奥行きを持たせる必読の一冊です。(雁98/9/4)
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海のアリア全3巻 情報・感想お寄せください
【出版社】角川書店 【発表年】1巻1990年初版 【サイズ】【その他】
【感想】現時点で最新の萩尾望都のSF長編。このマンガにも萩尾SFに繰り返しあらわれるモチーフがたくさ ん出てきます。高度文明を持つ異星人、星の死と再生、音楽、封印された記憶等々。そういう意味では同じく萩尾SFの集大成であった、「マージナル」と比べ ると多少見劣りする気はしますが、それにしたって傑作なのは間違いナシ。何といってもベリンモンというアイデアが素晴らしいし、クライマックスでは実際に は聴こえないはずの音楽が聴こえてきて、鳥肌がたった記憶があります。マンガから音楽が聴こえるという初めての経験をさせてくれた作品です。 (EDG99/5/5)
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恐るべき子どもだち 全1巻 
【出版社】集英社 【発表年】1980年初版発行 【サイズ】新書版【その他】セブンティーン・コミックス/ジャン・コクトー原作
【感想】
*初 めて読み終わったとき、物語を掴めきれなかった、というよりは「作品」というひとつの屋敷の、その扉も開けないまま読み終えてしまった感じがして、非常に もどかしく思ったのを覚えています。考えてみれば「トーマの心臓」もそうでした。「トーマの心臓」は二度読み返して初めてその屋敷の中に入れましたが、こ の作品の関所はもっと堅くて、何度か読み返してやっとお屋敷の玄関らへんに辿りついたという感じです。
 しかし屋敷の中の、その壮大さはやはり萩尾さんならではのものでした。あまり奥に踏み入らずとも、その輝きは充分目に入ります。衝撃的なラストシーン や、作品中何度か現れたダルジュロスという少年の敬礼する姿、ポール・エリザベート姉弟の音楽のような科白のやり取り…未熟な私は十年以上立ってもこの屋 敷を自由に歩き回ることが出来ないのではないか、という不安を内包した、不思議な感動がこの作品にはありました。ただひたすら「いい!」と心に響く萩尾さ んの作品群の中で、非常に特殊な存在でした。でも名作に変わりはないでしょう。(2002/5 緋桐)
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〓 萩尾望都作品を語る 〓
心理描写、人物描写で定評のある萩尾望都先生ですが、この作品はトーマの心臓の番外編のような形を取りながら一遍の上質な文学作品の様な格式と心理描写の 重厚さ緻密さを備えたマンガというワクを取りのけても優れた作品だと思います。読者はトーマの心臓の中に出てくるオスカーのバックグラウンドを知りたくて 手に取るのでしょうが、普通の作品の番外編と趣を異にする自体独立した奇跡のような完成品だと思います。初期の作品「小夜の縫う浴衣」からこのセンスはか いま見られましたが、この作品は後の「半神」「イグアナの娘」「残酷な神が支配する」の心理描写につながる繊細な表現力やセンスにあふれており、個人的に は私の萩尾作品ベストです。「残酷な・・・」は余りにも長く鬱々として結論が有るような無いような作品で入り込めませんでしたが、この作品を読んで最初に 思った事はこの作者はなぜかように子供の心理の微妙なひだをここまで緻密に繊細に表現出来るのであろうかということです。まるでオスカーの少年時代を作者 個人が体験したかのような筆致です。児童カウンセラーの素質があるのではないかと思わせられました。・・・後の作品につな・(以下文字化けのため解読不 能)(0112-2 乱読魔)

<Moriさんによる一考察>
Moriさんが過去に書かれたレポートからの転載です。
管理人のわがままなお願いをきいて頂き、ありがとうございま した>Moriさま

「できれば忘れたいと思っていた恥レポートが『まんぱら』の おかげで生まれ変わり、
日の目をみる事ができました。それもこれも雁さんのおかで す。ありがとうございました。 Mori
「『半神』における「半神」という言葉の意味」

1.はじめに(『半神』のあらすじ)
 主人公ユージーとその妹ユーシーは一卵性双生児であるが、腰の部分でつながっている。シャム 双生児である。妹のユーシーは自分で栄養素を作ることができないので、姉のユージーの養分をアクマのように吸い取って生きている。
 養分の殆どがユーシーに行ってしまうため、ユーシーが天使のように美しいのに対し、姉のユー ジーはやせっぽちで「塩づけのキュウリ」のように醜い。
 またユーシーが白痴でひ弱あるのに対し、ユージーは頭がよく頑丈である。
 人々は「天使」のようなユーシーばかりを熱愛する。
 が、とうとう切断手術をしなければ二人とも命を落とすという状況に陥る。手術をしてもユー ジーしか助けられない。自分で栄養が作れないユーシーは死ぬしかないのだ。しかし手術は決行され、成功する。
 自分自身に栄養が回るようになったユージーにはみるみる肉がつき、かつてのユーシーのように 美しくなっていく。対してユーシーはどんどん干からび、今までのユージーそっくりに醜くやつれて死んでいく。

 話の筋としてはこれだけのものである。
 この作品は『半神』というタイトルを冠しているにも関わらず、作品中では一度も「半神」とい う言葉が登場しない。「はんしん」は全て「半身」で表記される。
 また、「神」という言葉に呼応する「アクマ」「天使」などという言葉が散りばめられる。
 一体、この作品における「アクマ」「天使」そして「半神」とは何なのか。
 本稿では、本作におけるこのような言葉の意義を考察し、同時にその主題を考えてみたい。 
 

2.憎しみの「アクマ」愛情の「天使」、融合の「神」
 ユーシーはその美しさ、白痴ゆえの無垢さから、人々から「天使」と呼ばれた。が、ユージーに とっては自分の栄養分を吸い取ってしまう上に、面倒を見なければいけない邪魔な「アクマ」のような存在である。
 手術を受けることになったときにも、ユージーは喜びこそすれ、ユーシーに必ず訪れる死を悼 み、惜しむ気持ちはどこにもない。自分の血を分けた双子の妹であるがゆえに、その憎しみは想像を絶するほど深い。
 その憎しみが解けるのは、切断手術後、ひからびて醜い姿に変わり果て、いよいよ死に瀕してい るユーシーを見舞うときである。
 術後はじめて会う醜い妹を、ユージーは驚きの眼でもって見下ろす。突っ立ったまま、何か異質 なものでも見るかのように。
 この「驚きの眼」が非常に印象的なのであるが、それは妹がかつての自分そっくりの姿になって いる衝撃に由来するのではない。それだけならもっと、単純な「オドロキの表情」をしている筈である。
 そうではなく、彼女は自己の内部での妹に対する価値観の変化に戸惑っているのである。
 ユージーがその大きく見開いた眼で見ているのは、自分の心である。かつての自分の姿を通し て、自分の心の動きを見ているのである。

  では、どんな心の動きだったのか。 
  おそらく、この時はじめてユージーはユーシーが自分にとって「アクマ」ではなく「半神」であった事に気がついたのだ。

 ユージーにとっては、憎むべき対象が「アクマ」であり、愛しむべき対象が「天使」であ り、それらをすべて内在するのが「神」であると私は考える。 
 今までもずっとユーシーはユージーの「半身」=「半神」、「神」であった。つまり、憎むべき 存在であり、同時に愛すべき存在であった。
 しかし彼女は今まで自分のそんな心に気がつかなかった。
  妹を「アクマ」としか思ってこなかった。
 そして憎むと同じに愛していると気がついたのは、半身を喪うその時になってからであった。
  彼女の妹は、この世でもっとも憎む、そしてもっとも愛する「半神」だったのだ。

 
3.「神」を失う意義 
 三年後、美しい少女になったユージーが鏡の中の自分を見てユーシーを想い涙する。
  愛よりももっと深く愛してい たよおまえを
  憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよおまえを
  わたしに重なる影―――
  わたしの神―――
 ユージーは自分の「半身」を失った。『わたしの神』を喪った。
 これは「自己の死」である。と私は考える。
 深いつながり、血ばかりでなく精神世界においても理屈抜きのつながりを持った肉親の死は、そ の人物との生活や精神的交流などの一切を断ち切られることである。死はその人物の個体としての生命活動の終焉であるとともに、受け手(家族)の精神世界で のその人物の死をも意味する。後者はあくまで受け手の内部での現象であり、受け手自身の一部を失うことではなかろうか。「自己の死」である。
 ましてやユージーとユーシーは生れてこのかた文字通り片時も離れたことのない「半身」であ る。見舞いの場面における『死んでいくのは自分じゃないか』という言葉からもこのことはうかがわれる。
 「神」という深い愛憎の対象を失うことは「自己の死」を意味する―――。
 それが、自分そっくりになって死んでいった「半身」の話を描いたこの作品の主題ではないだろ うか。
 こうした解釈は、作品中の「天使」「アクマ」「神」、そしてそれらがすべて集約されたタイト ルの『半神』、というキーワードをどのような異化表現として受け取るかにかかっている。
  私は以上のように解釈したが、また別の視点からの解釈も可能であろう。
  そのような本作品の幅の広さがあってはじめて、今はなき、劇団「夢の遊眠社」の『半神』などの二次生産物を産み出すことが可能なのである。
 

5.おわりに(漫画表現の可能性)
 私はこのような本作品の価値に改めて気付いたとき、漫画というものに対して畏敬の念を抱い た。
 とてもたったの15ページとは思えない。(短編の漫画でも、普通二十ページぐらいはある)
 この内容の濃さと膨らみは、絵と文との絶妙な相乗効果によってもたらされている。
 たった一コマの絵でも、小説では説明できない様々のことを語り(例えば前出の見舞いシーンの 眼のように)、独特の間と雰囲気で、同じビジュアル物でも、映画などでは表現できない主人公の閉ざされた精神世界を描き出す。
 文に関しては、会話文以外はすべてユージーの一人称で構成され、手術を受ける以前はです・ま す調を用い、術後はだ・である調に変わる。(これは「自己の死」による主人公の精神世界の変化を描こうとしているものと思われる)
 そして間には詩的な文章も挿入され、作品中の言葉の意味を深めている。
 このような絵と文による相乗効果は漫画ならではである。
 私はそれまでも「漫画は立派な表現のジャンルだ。漫画だからこそ素晴らしい作品というのがい くらでもある」とは思っていたが、これほどに無駄というものを削ぎ落とし、あらゆる要素を凝縮した詩的・哲学的な漫画にはお目にかかったことがなかった。
 漫画に対する眼というものを、漫画世代の私自身がまず問い直させられた。
 たった15ページの本作は、漫画表現の金字塔であると言えよう。
 

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