和田慎二ワールド〜BY 晶〜
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--激論!2nd--
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by
かわいさん:肯定派
&
晶:否定派
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反論1
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「スケバン刑事」サキがいっぱい!!?

●「2nd−prelude」ねたばれ全粗筋(99/3/28) 
●さらに2ndについて<晶>(99/4/25) 
NEW!!●晶さんへの反論<かわい道生>(99/6/27)NEW!!

…投稿から…
2ndについて
「わたしはこう思う」
by 杏菜(99/1/24)
by 佐原(99/4/4)
『スケバン刑事2nd 大予告編』にモノ申す!
by 風祭(99/3/22)
by 佐原(99/4/4)
 
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ご意見・ご感想<我もと思われる方こちらまで!
 
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はじめに

「スケバン刑事2nd−プレリュード」は、「メロディ」創刊一周年記念お祭り企画として「メロデイ」10月号に掲載された60ページ読み切り作品です。 この作品が世にでた意義は、まがりなりにも「スケバン刑事」が再びリアルタイムで生きて私たちの目の前に現れる機会を提供したことでありまたそれにつきると私は考えています。というのも、機会を提供したことはともかく肝心の作品の内容があまりに稚拙で承服しかねるレベルだったからです。とりわけ、異議を唱えたいのは次の3点でした。 
    1、登場人物の姿形が旧作とまったく同じであるにもかかわらず変名されていること 
    2、性質の異なる作品に旧作のキャラクターを設定を変え無理に投入したことによりキャラクターに摩擦が生じて説得力を欠いていること 
    3、「2nd−プレリュード」のどこにも「学生刑事」の設定が一度も登場しなかったにもかかわらず題名を「スケバン刑事2nd」としたこと
 以上のことから私は「2nd」に対して否定的な立場をとっており、このままの設定での続編は旧作の価値を下げることになり不要であると考えています。しかし「2nd」に対して肯定的な意見を持ち続編を待ち望むファンの方もまた存在していることも事実であります。 
 そこで、このコーナーでは肯定派と否定派のファンが会し「2nd」について議論することにより「2nd」の続編の可否について考察していきたいと思います。またそうすることにより、ここが和田先生及び白泉社に対する自由な意見表明の場になってゆくことを心から願う次第です。 
     晶
肯定論
論者●かわい道生(掲示板より転載。なお書き込みはかわいさんが直接されたのではなく、以下にも登場する「代筆者」の方がされました。) 


          はじめまして。「スケバン刑事2nd」について書かせていただきますかわい道生(PN)と申します。 
         2ndについて私が思ったのは、「スケバン刑事の本質」は、こういうことなのだ、ということです。 
          
         「魂と魂のぶつかりあい」というのが一体、どういう形であるか、本編は、他人を頼まずただひたすら「戦う」事で想いをぶつけ合ったのに対して、2ndは「戦い」にもう一つ誰にも邪魔されない「言葉にならない想いをかわす、心の交流」(レズ、という言い方もあるけど)がある、という事、描き方が違うだけで、あとは何も変わっていない、と私は思うのです。 
         そういった想いなら、あんな同人チックな描き方をしなくてもいいじゃないか!と、言われそうなんですが、そうだったら何故わざわざリメイクしたのか、そのものの意味がなくなってしまうと、私は思うのです。リメイクというのは、昔の作品をそのまんま描くことではないんですよ、昔の作品のイメージを残していかに新しいストーリーを作るか、それこそがリメイクの意に叶っているのでは? 
         実を言うと私は2ndに対して、少し怖い感じも受けています。というのは、佑希と麗華は、サキと麗巳と違ってすごく悲劇的な運命が待ち受けているのでは?と。 
         何故なら、前者は滴として相手を憎み、友としてあり続けるにも、戦うことでしか想いを伝えられない、これもまた悲劇なのですが、後者の方は、相手の息づかいを感じるほどに近くにいながら、袂を分かち、殺し合わなければならない、そういった運命が待ち受けていることは火を見るより明らか、前者よりも苦しく、辛い戦いをしなければならなくなるだから、私は怖いのです。 
         ここまで読んでいただければ、わかったかと思われますが、私は「2nd」が好きな人間です。私にとって「2nd」は、本編とは、また別の次元の作品です。根底では同一な物として見ていますが、「平成版スケバン刑事」というものとして認識しています。こうい私は、OVA版の方も、原作とは違う作品と見ているし、ドラマ版もまた、しかり。 
         はっきり言うと、「昔と同じ作品を!」というのは、和田慎二先生ももう、お歳を召されているのだし、時代が流れている以上、それは無理なんです。(同じものを描いたら、それでこそ「つまらない」と言われるだけです。何故って、旧作を知らない読者が読んだら、それでこそ「時代遅れ」と笑われるだけだと思うから) 
         私自身は「イメージを崩さなければストーリーが違ってもオチが違っても、スケバン刑事なんだ」というものがあるのです。こんな思いを抱く理由は、私は原作全部読んでからも「スケバン刑事」にどうしようもなく飢えていて、そう、あれで終わったという意識が未だになく、どんな形でもいいから「スケバン刑事」を私に見せて下さい、ストーリーが違っても、あのイメージと世界にリアルタイムで会いたい、そんな気持ちがずっとあって同人界に入ったのも、それが最大の理由でした。だから「2nd」が好きなんだろうなぁ。 

         最後に「2nd」を否定する方へ。 
         もう一度、本編を熟読して欲しいのです。そうして、考えて欲しいのです。「2nd」は和田先生が描きたかったであろう、サキと麗巳の「もう一つの関係」なのです。これは、切実な希望です。 

         この意見文を読んで下さって、「2nd」を好きになって下さる方が独りでも多く、いて下さるように……。                          かわい道生
追伸 
         それにしてもファンというものは何故こうも……なんだろうかと思います。 
         ドラマ版の時はもう、メチャクチャな言われようで、私自身ひどいショックを受けてしまったのですが、「和田先生以外の人がやった事だから」と納得したのですが、和田先生本人が、いざ描いたら描いたで、否定派がメチャクチャ言い始めるんだもの。どっちも同じなんじゃないか!!と思わざるを得ません。 
         そんなに「2nd」が気に入らないんでしたら、同人でも何でもやって、和田先生に送りつけてあげればいいじゃないか、と言いたいです。 
         「好きだから」我慢できることにも限度があります。原作の続編の件で、ドラマ版の時と同じ様なショックを受けなければならないなんて…「好きだから」妥協できない、というのはわかるんですけど…ねぇ。 
         こういう反応するから「あなたには自分というものがないんだ」と言われるんだろうなぁ。【代筆者注*自分がない=彼女自身が言うには「何でも構わない」という性格的な面の事のようです。これは、こうでなければいけないんだ!!という強烈なものがないという事だそうです】 
 

【代筆者が個人的に質問した「この先、学生刑事の設定は出てくるか?」の問いに対して】 
         YES。その理由はといいますと、タイトルに「刑事」が付くのだし、「力」を持った麗華に対し、佑希は、それらを全く持ち合わせていない。何もなくても佑希は戦うだろうけども持つに越したことはない「力」がないと、佑希の力は発揮されないのでは?(志は有っても)「刑事」になる事が二人の間を分かつ事になるかもしれないし、心を交わした「友」を「敵」として見なければならない時、そこから生まれる葛藤が、話を作れると思う…。そう2ndは「敵」から心を通わせる「友」になり、でも「敵」になってしまう、そういった心の葛藤、悲しみ、苦しみが表に出てくるかもしれない…私はそういう話を続編として期待しています。 

         私には、あの二人がハッピーエンドになったと思えないんです。一見、ハッピーエンドに見えるけど実のところ二人は、二人だけの世界に逃避している。私は、そう思いました。 
         あの二人が本当にすべき事は、ずばり「コインロッカーにすがりつく心を捨てる」という事。 
         「大人になれ」ということなんです。親なんか必要ないと言う人が何故、コインロッカーにすがりつくのか私には解せません。 
         だから、前作と構図が変わっていないんです。母親(ナツ)がコインロッカーに化けただけ。 
         麗巳の設定がサキと同じ物になったのは、これは「時代の流れ」から。今は、どういうものであれ、理由が求められる時代であると、私は感じるので、(今や悪にも理由のある時代なのに)「全く価値観も違うのに、普通なら憎みあっててもいい二人が、どうして心を通じ合わせられるのか」その理由を「コインロッカー」に求めたのだと、私は思います。それに「今やコインロッカーベイピーなんて存在しない」と言われますが《表に出ない》というだけで、実はまだ続いていると思えます。(尾崎南さんだって94年頃に、そのことを少し漫画で描いているのに)【代筆者注*彼女は、尾崎南さんの「絶愛」に強く影響されている様です】あれほど子どもを捨てるのに、都合のいい場所もないと思えるんだが…。今は毎日見回るらしいから、死んでいない限りは、ニュースにならない様な気がする。 
         何より何故あの二人は「満たされない想い」を抱えていたのか。麗華は「人間は皆バカだ」と言っていたように、佑希も「他人は自分を分かっていない」と、二人とも他者を完全に拒否しちゃっている。(ノリコちゃんは「すがってくる相手」だから「自分が弱いところを見せちゃいけない」と暗に思っている様な気が…) 
         人間は一人じゃ生きられないけど《二人だけの世界》でも、生きてはいけない。生きている限り、他者を存在させ巻き込まないと、人の心の成長は止まってしまう……。麗華には「二人きりの世界に生きよう」という心の面が、ものすごく垣間見えるのです(それだけの力を持っているし)。でも佑希は違うような気がする。この二人の間は、間違いなく埋まらないような気が……。 
          
         「スケバン刑事」の世界をここまで深く掘り下げられたのは、実は「FFれ」が、これと全く同じ構図を持った話だったから…だったりするわけです。セフィロスとクラウドの関係って、まさにこれなんですよ。これにすっ転んだので2nd好きになったといってもいい、マジ。【代筆者注*彼女は、PSゲーム「ファイナルファンタジーン」にも強く影響されている】 

         私には「2nd」は、アクション主体の話ではなく、キャラクターの心理の方が重く、より表に出た話になると、にらんでいます。前作のようなアクションストーリー主体の話には、ならないような気がします。「少女鮫」だって、キャラクターがより表に出た話でしょ? 

        以上で終わりです。お疲れさまでした。 



●代筆の方によるフォロー(98/11/12) 
*コインロッカーの記述について* 
        赤ちゃんにしても、10年で破棄される事も、それは取材に裏付けられたことで単に和田先生が考え出したものではない……と言いたかったんだそうです。 
        和田先生に限らず、今の漫画は必ず取材をして、確認してから描くので、コインロッカーの件も、事実だろうと言うことです。 

*ファイナルファンタジー7* 
        かわいさんは、セフィロスとクラウドの関係と、佑希と麗華の関係が同じに見えるそうですが(私はプレイした事がないので、わからないです)同じFF7ファンでも 「全然違うよ」と言う人もいるので、これは「かわいさんだけの意見」として下さい。 

        名前に関しては、ファンが混同するというのは本当だろうと。かわいさんの友達に「バラの追跡」と「バラの迷路」を同一世界と見ていた人がいたそうで、私も先の連載「怪盗アマリリス」を昔の「快盗アマリリス」の続きと最初は思っていたので和田先生が先手を打ったのかな? ……そう、和田ワールドの人物リストですが、#「バラの迷宮」を「バラの迷路」に #「快盗アマリリス予告編」は「怪盗アマリリス予告編」にお手数ですが、直しておいて下さると、ありがたいです。 

        サキと麗巳だったら、タイトルのどこかに「アナザーワールド」と付いて 絶対「2nd」にはならなかっただろう、どんな形であれ佑希が2代目のスケバン刑事になるだろう……だそうです。でも実際に、あの設定の中に学生刑事が入れられるかは、ちょっと心配だそうですが。 
        違うキャラだったら「なーんだ、これ、サキと麗巳」と言われてしまう。それはそれで、また問題だと。(生まれ変わった魂としてなら、それで良いと私は思いますが) 

        ただ肯定派と言っても、かわいさんのように続きを希望する人や、あれで終わって欲しいと思っている人(続ければ結局同じラストに行き着くだろうから。同じ物は見たくない)一見肯定派に見えても、どうも中立派な感じの人など様々みたいです。 
 
反論1 (99/1/24)
60Pで自分が批判するだけの内容の漫画が描けますか? 
プロだったら描けるという問題ではなく、意見(批判)を言うのであれば、その意見文に値する事をあなたは実際にできますか? 

 和田先生が手抜きしたとは思えないし、前後編100Pくらいなら手抜きと言われずに済んだのかもしれないけれど、ページ増やしたら、たぶん中身スカスカの漫画になったし、あの中に不必要なシーンはなく、60Pだったからこそ、密度の濃い作品に成り得た。 本当に低レベルなら私だって否定論出します。2ndは何回でも読み返せる作品に仕上がっている。中身スカスカではなく、きちんと引っ張ってくれて最後まで読ませる作品に仕上がっているから何回も何回も読み返すことが出来る。 

 作品に対する「真の想い」は我々ファンよりも和田先生御自身がよく知ってらっしゃって、肯定にしても否定にしても、それは結局「ファンの主観論」にすぎない。 

(<反論1 右上へ!)
否定論
 かわいさん、はじめまして。晶と申します。まず最初に、否定論が大変遅くなりましたことを深くお詫びします。以下、否定論をまとめて書きたいと思います。 

 一、「スケバン刑事」本編の本質及びリメイクについて 
   1、「スケバン刑事」の本質について 
 「スケバン刑事(以下本編とする)」の本質は、あくまでも「一人の戦士の生き様」であり、「魂と魂のぶつかりあい」はそれに付随したテーマの一つであると私は考えています。 
 まず、サキと麗巳にはその周囲に様々な人間がいました。しかしその多くは彼女らの生き様に心酔するあまり肝心の彼女達自身についておざなりにする傾向がありました。彼女たちの悲劇は、かわいさんの指摘するものよりもむしろ「あれほど多くの人間に取り囲まれながら味方に友を得ることができない孤独の深さ」にあると私は思います。その彼女達自身を初めて見出し強く意識した人物こそが敵であるお互いだったのです。 
 また彼女達は視線が合っただけで一瞬にして互いの技量、能力そしてその危険性を見抜きました。それまで能力を正当に評価されなかった彼女達にとってお互いが初めての「真の自己を見つけた相手」だったのです。自分のことを正確に理解している人間という意味では、確かに「友」と言えるのかもしれません。 
 しかしながら、世界観も善悪の判断も正反対の彼女達にとって自らの生き方を貫くためにはお互いは不倶戴天の敵でこそあれ決して「友」ではありえなかったのです。そして彼女達もお互いを評価してはいるものの戦うことにためらいは見せませんでした。実際に本編でもサキと麗巳との関係を「敵でありながら生まれながらの友」と表現したのはその周囲の人間で彼女達ではありませんでした。 
 以上のことから本編の本質は、いかなる逆境においても前を見据えて戦場へ赴く孤独な戦士の姿にあると私は考えます。 

2、リメイクについて 
 私も、リメイクに必要なことはかわいさんのおっしゃる通り「昔のイメージを残していかに新しい話を作るか」だと思います。本編と全く同種の作品は単なる二番煎じに過ぎないし私もそれは望みません。 
 私が「2nd」に望んでいたのはサキの心情面を重視した話でした。というのも、本編の場合アクションを重視するあまり登場人物の心情面がやや置き去りにされる傾向があったからです。実際に、 
サキに次々と立ちはだかる試練は専ら彼女の戦士の側面の成長を促すものでした。その結果、彼女はあれだけ鋭い頭脳と高い戦闘能力を持ちながら処世術を知らないという極端な人物になりました。 
 幾多の試練を乗り越えるサキの崇高な姿は勿論好きでしたが、それとは異なる新しい魅力を持ったサキの姿を私は「2nd」に期待していました。しかしながら実際の「2nd−プレリュードー」は本編のリメイクとは到底認められない作品でした。 

二、「2ndープレリュードー」設定面への批判 
 1、登場人物の姿形が同じであるにもかかわらず変名されている点 
 この作品では麻宮サキが天宮佑希に、海槌麗巳が氷室麗華にと変名されています。これは本編と「2nd−プレリュード」とを読者が混乱しないための措置だそうです。しかし仮に「2nd−プレリュード」が本編と別次元の話であるにしても本編とは別の話に本編と同じ容姿を持つ人物を登場人物にする行為自体が混乱の元凶であり、「2nd−プレリュード」には新しい登場人物を設定するべきでした。また好評を博した本編の登場人物の外見を流用する以上、本編に敬意を表して生活設定は変えても名前は元のままにするのが本編並びに本編ファンに対する最低限の礼儀であると考えます。 
 もっとも、麻宮サキの話を描くつもりがないのに同じ外見の人物の話を描くこと自体矛盾していることなのですが。 

  2、性質の違う話に本編の登場人物を無理に投入したことで話に無理が生じている点 
 「2nd−プレリュードー」は、ねたはあるが登場人物がない話に本編登場人物を組み入れたことにより生まれた話です。このことにより話の展開が多々不自然になり説得力に欠けたものとなりました。 
 そもそも、話の登場人物は話自体から生じるもので、他の作品の登場人物を投入すれば摩擦が起こるのは必至です。かかる危険性が高いにもかかわらず、「話にサキと麗巳を合わせるとぴったりする」と考えあえてそれを行った和田先生の考えには疑問を感じずにはいられません。この摩擦の詳細は内容面への批判で後述します。 

  3、学生刑事の設定がないにもかかわらず題名を「スケバン刑事2nd−プレリュード」とした点 
 まず、話自体に「学生刑事」の設定が登場しない以上題名を「スケバン刑事2nd」とするべきではありませんでした。仮にこの続編がありそれにこれが登場するとしてもここに登場しない以上同じです。話の内容に全く関係ない設定を題名に掲げるぺきでないのは題名付けの基本です。 

以上のように、一方では「本編とは異なる全く新しい話」としながら他方で登場人物の本質が同じとの理由で本編と同じ外見の登場人物で話の題名まで本編の「2nd」とする行為そのものが極めて矛盾しまた本編におもねったものであり、本編の人気を当て込んだものとの謗りは免れぬものと言わざるを得ません。 

三、「2nd−プレリュードー」内容面への批判 
 話を追っていくと、登場人物の当初の敵対関係並びに登場人物のコインロッカーへの極端な依存という話の構造(切り口)が本編と全く変わらないことがわかります。 
 まず、登場人物の出生「コインロッカーベビー」については佑希と麗華が生まれた80年代に社会問題になっていたことから不自然な設定とはいえません。しかし、その出生から生じた心の傷が同じ物であるがゆえに誰よりもお互いを分かり合えるとの話の展開は安易が過ぎるというものでしょう。 
 確かに彼女達は同種の心の傷をかかえているのかもしれません。しかし、それ以後の彼女達は全く正反対の生活環境に生きてきたのです。その中でそれぞれ異なる価値観を培いそれにより心の傷の位置付けも異なるものとなったはずです。 
 これから生まれる対立こそが「2nd−プレリュードー」に描かれるべきでした。 
 実際に、同じ過去を持ちながら佑希は弱者をかばう道を麗華は弱者を虐げる道を選んでいます。そして二人がであった時に佑希は麗華の発する妖気に危機感を 
感じ、麗華は佑希を「退屈をまぎらわす格好の獲物」ととらえているのです。ここまで対立の根が深い二人、表現を変えるとここまで本編を引きずっている二人がたかが「心の傷が同じ」との理由だけで「分かり合える」はずがないのです。 

 その二人がお互いを理解する契機となる戦闘場面についても中途半端なものでかえって読者の疑問を強めるものとなりました。ついでに戦闘パターンが本編「三匹の蛇逆襲篇」とほぼ同じであることも付け加えるべきでしょう。 
  そして、佑希と麗巳のコインロッカーへの依存も本編と全く同じで特に新しい工夫も見られません。 
この設定が二人の心を通わせるきっかけになるというのでは話の底が浅いというものでしょう。この種の呪縛から開放された彼女達の姿こそが読者の望む話であると思います。 
  このように話の流れが不自然である原因は、前述のとおり性質の異なる話に本編の登場人物を無理に投入した結果摩擦が生じたからであると思います。話、登場人物、題名という作品の三本柱がそれぞれ成り立たないこのような話に本編の「2ndープレリュード」と題がつけられたことに対して、本編ファンの一人として怒りを禁じ得ません。 

 四、結論 
 以上述べたことから私は「2nd−プレリュード」に関しては本編と次元を同じくするか否か以前の根本的な問題を感じています。そのことから「2nd−プレリュード」に対して否定的な立場を取り、この設定のままの続編がないことを願っています。私もかわいさんと同じように本編がとても好きでサキがとても好きで、あの作品に再びリアルタイムで接することができると喜んで「2nd」に大変期待していました。それだけに本編が粗末にされる形となった「2nd−プ 
レリュードー」が余りに残念でならないのです。そしてかかる行為をした作者の和田先生の作品制作姿勢に対して残念ながら疑問を感じずにはいられないのです。 
 まず、ねたはあっても話の核となる登場人物のない話というものは単なるねたにすぎず、作品でも話でもありません。登場人物はあくまでもその話自体から生じるものです。これに本編の登場人物を投入することは、ねたの話を絞り込むものでもなければ「2ndプレリュード」を作るわけでもないという、二重の意味で作品制作を放棄した漫画家を業とする和田先生にあるまじき行為であるといわ 
ざるを得ません。 
 また、最近の和田作品は既存の作品のエピソードを再利用する傾向が見られるが、これらに関しては趣を変えているだけ創意工夫の跡が見られまだ評価できます。問題は「2ndープレリュードー」において、「本編とは異なる新しい形の話」としながら登場人物もその使用する武器も同じでそしてあたかも本編の続編を期待させる題名をつけたことです。設定を少しいじった程度で話にほとんど進歩が見られない内容で「前作を超える」とは笑止千万なことですが、なにより信じられないのが本編とは別の話であるにもかかわらず作品の客観面が前作とまったく同じなことです。予告編でも宣伝においても「2ndプレリュードー」の登場人物の外見こそ同じだが全くの別人という明確な記載はありませんでした。ここまで本編を引きずりながら「サキと麗巳を新しい設定で闘わせる話」と主張するのは単なる詭弁にすぎません。 
 最後にこの作品により図らずも作品に対する和田先生の考え方が見えてしまったことです。一旦完結したものである以上描きたいとの誘惑があったとしてもそれに耐えるべきでした。既存のねたに本編の登場人物を投入するという安易な方 
法で「2nd−プレリュードー」を描くことから和田先生の本編並びに登場人物に対する姿勢が見て取れることになりました。そのくせ本編と客観面では変わらないという姑息な手段での「2nd−プレリュードー」に万が一の期待を込めて「メロディ10月号」を覗いた読者を考えるとその一人として暗澹たる気分にならずにはいられません。 
 おそらく、「2nd−プレリュード」に対して失望した人間の殆どがこれを感じたのではないかと私は考えます。和田先生のこの傾向が一刻も早く改善されるよう和田ファンの一人として心から願う次第です。一度失望により失われた信頼は二度と帰ってはこないのですから。 
 
 
<反論1 (99/1/24)
まず私が否定論で書いていた「2nd」に対する要望は、「2ndプレリュード」に対するものではなくそれ以降始まるであろう本編全体に対する要望です。それに先立ち始まる「2ndプレリュード」にはその前提としての問題提起の部分を期待していました。 

 私は漫画を描いた経験がありません。だから60Pで話を構成する難しさを知りませんし自分の意見に合う内容が可能かどうかも判りません。製作側から見えて読者には判らないことがあるのもかわいさんのお手紙で理解できました。しかし「2ndプレリュード」があれほど意見を二分し議論されている以上、果たしてその議論が「ファンの主観論」にすぎないと片づける以前の問題で「2ndプレリュード」に制作側から判らない弱点が実際に存在するのです。 

 私は否定論を書く際「2ndプレリュード」を何回も読み返しました。 
その上での感想が前回の否定論なのです。確かにあのなかには 
不必要なシーンはありませんがあれほど個性の強い主人公二人が和解するのに説得力のある場面もありませんでした。表現を変 
えると、これを欠くため本編のキャラクターと元のねたという本来性質の異なるものが融合できず分離したままの不自然極まりない作品になっているのです。それゆえ「2ndプレリュード」が人の鑑賞に値するレベルであるとは残念ながら私には思えないのです。 
 

私はこう思います 
(杏菜99/1/24)
初めてメールを送ります、杏菜と申します。 
2ndへのご意見、アツイですね。特にかわいさん。私は、やや否定派よりの中立派せす。でも、今回は、あえて私の意見ではなく、かわいさんへのメッセージを書きたいと思います。 
  正直言って、私は、この“2nd”を好きにはなれませんでした。理由は晶さんが書かれていたこととほとんど同じです。けれど、かわいさんの意見もうなずけるものがありました。この“ 2nd”への激論はどこかに答えはあるのでしょうか?ないですよね。十人十色と言いますが、10人いれば10の意見があって当然。意見を交わし合って、自分では考えていなかった事を知るのも面白いと思います。かわいさんは、かわいさんなりの、しっかりした意見をお持ちなのだから、たとえ自分と違う意見を言う人がいても、気にせずそれを貫けばいいです。誰も貴方を責めたり、批判したりはしません。 
先に書いたように、私は“2nd”を好きにはなれませんでしたが、和田ファンを止める気はありません。スケ刑事に限らず、新作が発表されれば読みたいと思っています。 
 かわいさんが、否定派の意見を聞いて胸を痛めるのは、誰も救えませんが否定派も貴方と同じ和田ファン仲間であることを、忘れないで欲しいです。 
 文章力に自信がないので、イマイチ、伝えたい事がうまく書けませんが、かわいさんに私の気持ちが少しでも伝わる事を願っています。晶さん、こういう場を与えてくださって、ありがとうございます。今後もがんばってこのページを盛り上げてください。またメールしたいと思います。では、失礼しました。
私はこう思います 
(佐原99/4/4)
*名前はキャラにとって「財産」です。いくら別次元の「もしも?」の話であり、麻宮サキ版と混同しない様にとの配慮だったとしても、あのキャラでリメイクすること自体が混同させる原因で、作者の身勝手です。違う名前と沼先生モドキの出現に、かえって混乱しました。区別するために名前と生い立ちを変えても、キャラのニュアンスは同じかな、では変えた意味がないし、第一キャラに対して……麻宮サキに対しても天宮佑希に対しても……失礼だと感じました。 
*別キャラだったら、それこそサキと麗巳の二番煎じと顰蹙物だったという意見もありますが、果たしてそうでしょうか? 親友になる話です。サキと麗巳に似ているのは、別キャラでも根底に流れているのはサキと麗巳の魂であり、前作では成し得なかった、親友としての二人なんだと読者に訴えることが出来るはずです。 
終盤の佑希と麗華の対決は、佑希が戦いを投げ出して中途半端。ラストへの展開も戦いが中途半端だったのと、麗華の家庭環境が解せなくて、共通過去に互いに同情して、心の傷を舐めあっているだけに見えました。 

氷室麗華の「家庭環境」の疑問。 
*ヨーヨーを遊び相手に「孤独」に育って来たから、捨て子だったという真実を聞かされて「心に穴」が空いたのでしょうか?そこが疑問なんです。友達の分のコインロッカーも買ってくれる氷室の養父は、麗華に対しては甘い親であり、それなりの*財産と地位とコネがある人物と思われます。そういう人だから毎日忙しくて、麗華に接する時間も余りないから「物」で「親」を表現しているのでしょうか。だったら一体何のために麗華を引き取ったのでしょう? 
*拾われて間もなく氷室家に引き取られたと麗華は言っていましたが、コインロッカーに捨てられていたのだから、生まれて数ヶ月というところ。乳飲み子を養子に迎え入れるのは覚悟が要ります。何らかの事情で血の繋がった子どもが望めず、でも欲しくて仕方なかったから、麗華を引き取ったのでは?  
*そうなら愛されて育ったはずですよね。愛されて育ったのに捨て子だった、親とは血が繋がっていないと知って、心に穴?  
*もっともその頃から忙しくて、引き取っただけで世話は全部使用人任せだったのかも? だから孤独で心に穴?  
*その辺が不透明な「プレリュード」では、麗華は同情してくれる人を捜していた「悲劇のヒロインに浸っているお嬢様」に見え、麗華とは対照的な育ち方をしてきた佑希も、自分と同じ過去で孤独の淋しさに涙した麗華を見て「言葉は要らない、解り合える」と、絆を求めるというより同情で手を取り合った様に見えたので、私は前述の様に単に「傷の舐めあい」だと思えたのです。

  
*さらに2ndについて*
:注意:
「スケバン刑事」を「1st」、「スケバン刑事2nd prelude」を「prelude」、
「スケバン刑事2nd preludePart2」を「Part2」、後二者両方をさす時は「2nd」とします。 
:「Part2」 
設定面について
1:登場人物について 
  登場人物に関する私の考えは「prelude」の際の感想をより感情面で強くしたものです。そこでここでは、「Part2」で特に感じたことを書きたいと思います。 
  (一)主人公 
  氷室麗華について今回の独白を見ると彼女が麗巳とは異なり地道な将来設計に基づく野望を抱いていることがわかります。このことから明らかな性格変化がある為疑問は残るものの、海槌麗巳と氷室麗華が別人であると認め 
 る事ができます。 
  問題はもう一人の主人公天宮佑希です。佑希の場合、彼女自身の個性が殆ど見られません。変わりに目につくのは彼女に課せられたメッセンジャー的役割で、このことが天宮佑希の個性の薄さが際立つ原因となります。言い 
 換えると、「2nd」の120Pに及ぶ作品の主人公でありながら、天宮佑希は麻宮サキの要素抜きでは存在できない状態なのです。 
  (二)「沼先生」 
  「prelude」に続き「Part2」でも登場した「沼先生」は、その特徴がことごとく「1st」の沼重三と一致します。彼の役割は天宮佑希を気遣う教師であり、沼重三のあくの強さは見受けられません。また彼は少なくとも名字の改名を免れています。このことから新たな疑問が生じます。 
(三)その他の脇役 
  「Part2]で登場した吉永桜子、蘭丸、主人公に敵対する不良は独自の登場人物ですがいずれの描写も典型的かつ表面的なもので印象に残りませんでした。このことは「prelude」でもおなじでした。つまり「2nd」には「1st」からの登 
 場人物以外に個性豊かで新たな登場人物がいないのです。 

2:スケバン刑事という名称 
  「1st」完結から十数年経過した現在、主人公にたいしてスケバン刑事という名称を用いることは適当といえるでしょうか。 
   
  そもそもスケバン刑事は「いったん悪に染まりながらも弱者をかばい悪と戦う」という暗闇警視側の理想的学生刑事像を象徴的に表現したものです。「1st」を通じての麻宮サキの生き様はまさにこの理想を実現したものでした。「1st」の最後によりスケバン刑事という名称が麻宮サキの鮮烈な生き様を物語るほどにこの両者の結びつきは深く強いものになりました。このことからスケバン刑事は麻宮サキにのみ許された名称のように私には思えるのです。 
  また時代の変遷により、番長組織というシステムが存在しなくなり、名称の前提そのものが崩れているのです。 
   
  以上から「2nd」の主人公達が将来的に学生刑事になるとしても、彼女達に対してスケバン刑事の名称を用いるのは不適当と私は考えます。

:「Part2」 
内容面について
今回の「Part2」は天宮佑希にかけられた嫌疑を晴らすという内容のため推理要素の強い作品でした。しかし事前に読者に示されている客観的判断材料が少ないため、読者は作者の用意した道なりに沿って進むしかありませんでした。加えて真犯人を特定する過程ですら身柄が拘束されている天宮佑希が記憶を反芻するという登場人物の心中に存在する材料だけでなされたために、極めて主観的なもので、作者の一人よがりの印象を拭い切れませんでした。 

  また立証を受け持つ麗華は自分の組織「裏の生徒会」の配下に命じて事件の捜査に当たらせます。この配下についてですが、「1st」の連載されていた当時ならともかく、学校の現状を考えると、頭目に絶対的な忠誠を誓うという支配体制が果たして可能か疑問です。そしてあとにでてきた物的証拠にしても、麗華の扱い方がずさんなため、この証拠が決め手になるか心配になりました。 

  そしてなにより指摘したいのが、次のことです。「Part2」では昏睡強盗、刑事捜査の弱点、悪徳弁護士という現代的な問題を扱いながら、どれも少し触れた程度でそれを深めるまでには至っていません。特に後二者については最近社会問題として話題にされているにもかかわらず、問題の暗部に踏み込もうとする気配すら感じられなかった点については残念と言うしかありません。

最後に  「part2」は「prelude」に引き続きその内容の薄さが目立っています。一で書いたように、作品の外形面は殆ど「1st」の延長で「2nd」を独自に立ち上げる試みは全くといっていいほど「Part2」では見当たりませんでした。 
  
 作品自体については、「初めに結果ありき」が作品中露骨に現われていて、作品としての体を成していないとの感想を私は持ちました。インタビューで前回の「prelude」が現代のドラマとして読まれたとの記述がありましたが、「2nd」が本当に現代を題材にした作品といえるでしょうか。現代の問題や風俗は「2nd」の中に点在していますが、それに潜む闇を描こうとする姿勢がなければ現代を描いたことにはならないのです。この作品の性質上、現代に関する詳細な描写は不可欠のはずです。それにもかかわらず今回の「Part2」がこの様では今後が危ぶまれます。 

 以前も述べましたが、私はこれ以上の続編は「1st」の価値を下げることになり不要であると考えています。それでなければ、せめて主人公二人の名前を元に戻して欲しいです。私が和田先生に望むのはそれだけです。

 
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●晶さんへの反論<かわい道生>
(99/6/27)
反論の前に晶さんの意見の感想を最初に。 
結局意見文の根底には「キャラクターを変えないのであれば名前を戻してくれ」という考えが流れているということ、次に、あまりに1stを引きずりすぎていて、どうにも客観的な意見になっていないということ、正直言って、意見を読み、反論を推敲していくにつれて腹が立ってきました。「キャラクターが同じなのに、ストーリーまで、こだわらないなんて無理です」というのであるのなら、もう2ndを読むのをやめてほしい、と言いたい。1stと2ndを全く違う話という受け止め方をしない限り、肯定派と否定派の相互理解はないと思います。(ここでいう「客観」は、2ndは2ndとして分けて見る、ということです) 
こうやって肯定意見を書いていても、私の意見を否定派は「こんなことを書くのは、ただの和田崇拝者だ、白泉社の回し者だ。」という受け止め方をしている人もいるのではないでしょうか。否定論以外の反応も全くないし、前回の意見も共感してくれる方がいたらいいな、という希望を持って書いたのですが………正直、空しい気持ちです。私は今、和田慎二ファンの集まりに、安住できない気持ちになっているのです。実際ファン歴が長い人ほど2nd否定派が多いし、肯定派の方が、思い入れの無い人間に思われている様な気がします。 
:「Part2」 
設定面について
まずは設定面の反論から。 
・主人公について、今回の話の形式は恐らく、麗華の個性を打ち出すことがメインテーマのひとつになっているかと思われるので、佑希の個性を打ち出せ、いうのであれば、もっとページ数を増やしてエピソードを書き込まなければ無理ではないのでしょうか? 
・沼先生のことですが、まず私は、「2nd」は「1st」とは、世界観・設定では全く違うものと思っています。結局「沼重三の個性を感じないのに、あの外見は無意味だ」ということなのでしょうが、別物としてとっている私には、特にどうとは思いませんでした(違和感を100%持たないといったら嘘ではありますが)。 
・「個性ある脇役」は、こういった読み切りでは余り出せないと私は思います。私も経験したのですが、長編ならまだしも、こういった短編で、しかも主人公格のキャラが二人もいる中で、「個性ある脇役」は正直、ストーリー進行の妨げになります。キャラクターの個性を出すには最低、ストーリーの中で一つは、そういったエピソードを入れないと、個性は確立されないのです。短期連載というならそういう批判もできますが、これはちょっと無茶な注文ではないのかなと。(蘭丸辺りが「個性ある脇役」候補じゃないのかなと私は勝手に思いましたが) 
・私は「スケバン刑事」は2ndでは象徴としてのタイトルと、見ています。時代錯誤とか言われても、私には少なくとも、これ以上のタイトルは思い浮かばないのです。前回から思っていたのですが、どうしても納得がいかないのであれば、どういうタイトルなら納得するのか、教えてほしいです。タイトルというのは、そこから簡単にテーマが読みとれるような物では困るのです。そういった意味でも、このタイトルは妥当なのでは?
:「Part2」 
内容面について
次は内容面の反論。 
・佑希の記憶を反芻するやり方が客観的ではないと言いますが、これも実は、漫画を描く側として言わせていただくなら、客観的な進め方をすると、ページ数を余計に食います。一回読み切りの位の短編は、あくまで主人公の主観で話を進めないとダメだと断言できます。 
・社会批判などの書き込みが深くされていないというのも、この作品はあくまで「犯人を断定し、裁きにかける」という話にしぼった書き方をしているわけだから、そういう批判は妥当ではないと私は思います。(「1st」でもそういう書き方がされている話はありますが、それって大体数回にわたる話だから、出来るのだと思います)それに桜子のキャラクターって、私には今時の高校性的な感じの中身のキャラに見えたのですが……。全然違うといわれそうですが、自分がしたことの結果という想像力が働かず、それ故にあのような事件の犠牲者になってしまった、というところとか、彼女のプリクラコレクションは、必ずしも友情には結び付いてはいなかった、人間関係の希薄さとか、私はこのあたりで色々考えてしまいました。 
・桜子のキャラクターで書いてしまった「人間関係の希薄さ」があるから、ああいった「裏の生徒会」なんて成り立たない、とか言われていますが、果たしてそうでしようか? 確かに、今の不良は学校同士の仲間の集まりよりも、行き 
ずりの仲間たちで徒党を組んでいてみたいな感じだからそぐわない、というかもしれないですが、我々が知らないだけかもしれないし、私から言わせると、ああいうメンバーって、麗華同様普段は、普通の生徒達だったりするかもしれないのだと思えるのですが。(生徒のレベルの高い学校なら、ああいう支配が通用しそう……なんて私は勝手に思っている。だって、今の不良ってレベルが低いですよ、想像力がないし、何より利己的な人間が多すぎて、統制も取れてない。そういう意味で)
最後に そんなに言うなら反対運動を行うか、自分で「2nd」を書いて下さい、と私は言いたくなりました。アンチ2ndファンだけで、同人誌でも作ったらいかがですか?と。こうやって肯定派を不愉快な気持ちにするくらいなら、そっちの方がよっぽど有意義な気がします。多かれ少なかれ2nd否定派の中にも、自分の方がよっぽど面白く書くことが出来ますという考えもあるから、批判したりする人もいるのではないでしょうか?
 
文責:かわい 道生
 
 
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月刊メロディー4月号
『スケバン刑事2nd 大予告編』にモノ申す!
●「2nd−prelude特別予告編」 
1998年9月「メロディ10月号」に掲載された、2nd−preludeの予告編です。構成は、麻宮サキの紹介2P、2nd−preludeの内容予告2P、裏話+ナンバーズ2P、扉絵2Pです。 
 なまじ顔が同じなだけに、ここに描かれた人物が「麻宮サキではな」く「海槌麗巳ではない」と予告編に書かれていてもつい期待してしまったのです。それだけに、実際の「prelude」を見たときには(−−;;)。 

●「2nd−prelude Part2大予告編」 
 1999年4月16日発売予定「メロディ5月号」に掲載される2nd−prelude Part2に関する予告編です。構成は、カットと和田先生の所信表明2P、裏話+ナンバーズ2P、内容予告2P、扉絵2Pです。 
 Part2とは、preludeを補完するために描かれるものでしょうか。予告編では何とも判らないのでPart2の発表を待つほかないですが・・・。 
 そもそも「prelude」はサキと麗巳の関係を新たに模索するものでした。それにもかかわらず、その続編の予告編で前作における主人公の関係を暗示するような画を掲載することは、結局この「prelude」が肝心な面で前作に頼っていることの証明ではないでしょうか。

はじめに
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c
月刊メロディー4月号 の『スケバン刑事 2nd 大予告編』の風祭が読んだ感想ですが… 
前回のプレリュードでは『別物』として『それなりに』楽しめた風祭ですが、今回の大予告編では・・・・(・_・; 
ま、まずい・・1st(元々のスケバン刑事)とごちゃごちゃになりそうだ(笑) 
和田慎二先生は『パロディーとして楽しんで下さってけっこう…』とおっしゃっていますが、パロディーとしてはσ(^_^;でもとらえられないような気がします…これ以上は、2ndの本編を読んでからでないと、何とも言えませんm(_ _)m
(風祭99/3/22)
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前回の「prelude」を受け入れられなくても、ファンの性で(^^;)それなりに期待して読みましたが、がっかりしました。 
前回を「1回きりのスペシャル企画」と心に決められていたなら甘い誘惑に負けないで欲しかったです。どうしても…というなら最後まで粘って違うサブタイトルを要求して欲しかったです。言い訳を並べず、素直に「続きが描けて、うれしいな」と言われた方が、どんなにスッキリするか。それとキャッチコピーの「完全復活」とは何のことでしょう???麻宮サキでない以上「完全」という言葉は不適当だと思います。
(佐原99/4/4)
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2nd−prelude * 
担任教師(沼先生か?)の口添えにより白鳳高校に編入したものの、クラスから浮いた存在だった天宮佑希。そんな彼女が心の支えとするのは、17年前にかって自らが捨てられていたコインロッカーBoxをしばしば訪れることだった。そんなある日の、邪気を発する少女氷室麗華との出会いーそれが天宮佑希の人生を変えた。 
 
 一方、品行方正な外見とは裏腹に近辺の高校をその手で統括する氷室麗華は、蛇を愛情の対象に孤独な生活を送っていた。その彼女の目の前に現れた獲物ー天宮佑希に強い関心を示した麗華は、部下達に命じて執拗に佑希を攻撃させた。 

 度重なる襲撃に堪忍袋の尾が切れた佑希は火の元である麗華のもとへ出向き、二人の戦いはついに始まった。ところが戦いは思わぬところで中断した。というのも、佑希の心の支えであるロッカーが老朽化のため廃棄処分されたとの知らせが佑希の元に届き、戦意喪失した佑希が思わずその場を離れてしまったからである。 

 ロッカーの行方を捜して東奔西走するものの手がかりは得られず、意気消沈し町をさ迷う佑希は、以前彼女が倒したチンピラに隙を突かれて逆に袋叩きにされる。満身創痍の彼女が目を覚ました場所は麗華の屋敷であった。 

 目を覚ました佑希に麗華が見せたものは、佑希のコインロッカーであった。たまらず手をつく佑希の手に麗華はそのロッカーの鍵を手渡す。更にもう一つコインロッカーを佑希に示した麗華は自分もまた17年前にコインロッカーに捨てられたことを明かし自分の孤独を佑希に語った後、彼女に一緒に暮らそうと言った。それに条件をつけつつ応じた佑希。こうして二人はその夜、共に安らかな眠りに就くのだった。 
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ねたばれ 
 
粗 
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