「本島真ん中で待ち合わせ」レギュラー (2008.11
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(沖縄コミュニティFM局FMチャンプラ毎週日曜日夜9時生放送)
前回紹介した「ドリーム仮面」の作者中本繁の場合、週刊連載向きでないために起きた悲劇だった。だが今回は違う。あの過酷な週刊少年ジャンプの連載で常に人気投票の上位をキープし続け、現在でも評価の高い作品を発表しながら、編集部の思惑により漫画界の表舞台から消えていかざるをえなかった漫画家を紹介する。彼の名は小室孝太郎、手塚治虫のアシスタント出身で、69年に少年ジャンプで代表作「ワースト」というSF漫画を連載していた漫画家である。彼の作品は、少年ジャンプとの確執(この件については後述)が背景にあるせいか、ほとんどが絶版で入手困難である。代表作「ワースト」が朝日ソノラマから復刻されたとの情報を得た私は早速、中部一帯の本屋をしらみつぶしに探し回り目的のブツを入手、読みふけったのであった。
「ワースト」、今読むと時代設定や描写に古さを感じるものの、テーマの斬新さや読者を引つけるストーリー展開は今でも充分通用する名作である。時は1960年代、地球全土で約1週間に渡り降り続いた雨。その雨に濡れた人々は苦しみ始め次々と死んでいく。その死体はワーストマンと呼ばれる化け物に変身し、生き残った人間に襲いかかる。人間達も力を合わせて、ワーストマンに立ち向かうのだが、このワーストマン恐ろしく生命力が強い。刃物でぶった切っても、銃で撃っても、爆弾でふっ飛ばしても、傷口はすぐ再生するわ、ばらばらになった体は引っ付いて生き返るわ、定期的に体を分裂させて繁殖するわ、ワーストマンにかまれた人間はワーストマンになってしまうわ、燃やして灰にするしか息の根を止める方法はない。さらにタチが悪いのが、こいつらは徐々に知能が発達していくのである。“そんなワーストマンに対してなすすべはあるのか人類”という内容なのだが、当時この作品を読んで衝撃だったのが2点。まず1点は主人公の死。この作品は3部構成になっているのだが、1部の主人公エイジが次の主人公タクに希望を託して、ワーストマンを道連れに自爆するシーンは、小学生時代、“主人公はどんな苦難や危機にあっても絶対に死なないもの”と思っていた私には衝撃だった。2点目は、物語に流れる一貫したメッセージ“勉強して、知識を貯えろ”。正体不明の恐るべき敵ワーストマンに対し、生き残った人々の多くが子供たちで主人公エイジにしても少年院を出たばかりの元不良。そんな極限状況のためとはいえ、このメッセージはドリフターズの人気番組「8時だよ全員集合」における加藤茶のセリフ“ババンババンバンバン勉強しろよ”以上に私の心に響いた。もし、この時一念発起して勉学に励み、それを継続していたら、もっと違った人生を歩んでいただろうに…。つくづく自分の持続性のなさを思い知らされる。 第2部の主人公タクは、圧倒的優勢なワーストマンの脅威の前に、東京から南方の島への撤退を決意する。移動中、片腕遠崎の死という悲劇を挟み、島へ向かう船出で第2部終了。地球上での生き残りをかけた戦いは第3部でタクの孫リキに引き継がれる。そして、読者の予想を裏切る結末。この作品は古典SFの名作「トリフィドの日」をベースにしているが、単なる模倣に終らず、それ以上の独自のものにしている点に作者の並々ならぬ力量を感じる。後のゾンビシリーズのヒットを考えると、10数年時代を先取りした作品である。72年の作品「ミステリオス」は後の「うしおととら」や「地獄先生ぬーべー」に先駆けた学園心霊漫画だった。続く73年の作品「アウターレック」はコンピューターに管理された独裁社会とそれに反旗を翻す人々を描いた意欲作だったし人気もあった。それなのにこのアウターレック、尻切れトンボのような納得いかないラストで終ってしまった。連載回数もわずか21回。アウターレック終了後、小室孝太郎は漫画界から一時姿を消す。子供心に納得いかないものを抱えたまま5年後の78年。小室は突然週刊少年ジャンプに復活。「命(みこと)」を約2ヶ月半連載するが、連載終了後今度は完全に漫画の表舞台から姿を消した。連載回数わずか11回。この作品は連載中人気が出なかったようだが、単稿本はかなり売れたと聞く。約10年後にヤングジャンプでの「孔雀王」のヒットを考えると、早すぎた作品だ。命(みこと)が連載されていた頃、私は高校生。漫画界の情報も入手しやすくなっていたので、業界の状況も徐々にわかり始めていた。私は思った。“小室孝太郎とジャンプ編集部との間にトラブルがあったのでは?”
もう一方の意見も取り上げたい。週刊少年ジャンプ2代目編集長西村繁男氏の著作に「まんが編集術」がある。その118ページに小室に関するコメントが掲載されている。紹介しよう。「(小室さんは)手塚さんの後半のアシスタントから出てきた人です。だから、絵はそれ以上には行かないんですけどね」西村氏は漫画界の歴史に残る週刊少年ジャンプの売上部数653万部という偉業を成し遂げ、ジャンプを業界NO1にした立役者である。それほどの方と承知の上で私は反論する。漫画家は描き続けていれば大なり小なり絵はうまくなっていくものである。小室は育て方によっては、ときわ荘グループと同等の存在になっていたのは間違いない。手塚漫画のキャラクターの愛らしい部分は故・藤子F富士夫や鳥山明に受け継がれている。小室は、手塚のストーリーテラーの部分を受け継ぐ資質を持った貴重な漫画家だった。手塚の後継者の一人になれたかもしれないのだ!歴史にIFは禁物というが、もしあんな形で連載を打ち切られなかったら。他誌でも活躍出来ていたら。作家性を尊重する少年サンデーならもっと才能を開花させていたかも。あの悪名高き専属契約制度さえなければ…。運も才能の内と言われるが、小室を襲ったものが不慮の事故や病気や災害等という不可抗力ではなく、編集部の方針という点に私は憤りを感じる。当時の編集部に度量があれば…。 小室孝太郎は週刊少年ジャンプに最後の連載「命(みこと)」を連載した後、活躍の場を宗教漫画や歴史漫画に移し、漫画の表舞台からは遠ざかっている。新作の構想は今でも持っていて、チャンスがあれば描きたいという。どこか、奇特な出版社があればやってもらえないだろうか。小室孝太郎、新世紀を迎えた今だからこそ再評価されるべき漫画家である。 参考文献:
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